これはタイトルなき
悲しい旅の記録である。
ただその記録は残念ながら
途中で途絶えた。
あの青い台帳に
記載された人間は、出国スタンプの
上にこの赤文字が押印される。
空港スタッフの誘導。
カンタスの地上担当かは
よくわからないが
非制限エリアに出たら、
さようなら。
あとは勝手にしてくれ。
放心状態とはこのこと。
あの国は自国の入国を防ぐために
他国のタイの出国まで取り消す。
そしてその者の母国への帰国便の
航空券があろうがなかろうが
知ったこっちゃない。
そういう考えらしい。
簡単に言えば自分の国
さえ良ければいい。
そういう主義なのだ。
空港のネットを使い
とにかく寝床の確保。
この状況での野宿は不可能。
もちろん本来ならここから
怒涛の機内3連泊が続くはず
だったわけだが。
バンコクは何度も紹介している絶賛の
格安アクセス良好の定宿がある。
1600円のドミトリーだが清潔で
フリースペースの充実。
一旦頭を整理するため予約して
パヤタイへ折り返す。
まるでバンコクの
自宅に引き返した感のある
今年3回目の利用。
直面した悲劇。
人災なのか
天災なのか。
なぜこんなことになったのか。
パスポートは生きているのか。
タイを出国出来るのか。
日本に帰れるのか。
様々な不安で頭が
いっぱいになる。
いつものバンコクの
おかんのモーニング。
考えているうちに
早々に朝を迎えている。
帰りの足の確保が
最優先でいくらアジア内
バンコクとは、そこが
固まらない限り動けない。
フルーツを食べても
シリアルを食べても。
詰まらない
帰国路。
インターネットから流れる
オンラインラジオのJAZZ。
優雅な時間なはずが
悲壮感はまだ残る。
皆朝食を終え、暑さ控えめのうちの
タイを満喫しに出かけていく。
前日に見たあの景色は、
前日である必要も
なかったわけで。
今は時間が
あるようで、ない。
そんな感覚。想定してない時間に
想定してない国にいる。
そんな経験はなかなかない。
直行で数日あけても2万はする。
それも当然LCCで。
トランジットして
組み合わせても変わらない。
もはやこのブログをご覧の方は
おわかりいただけるように
片道2万の
バンコクなんて
受け入れられない。
バンコクで
帰国便を
探す時間
が無情にも過ぎていく。
行先を失った悲しい旅の記録は
続く。